CERNの大型加速器がもたらしうる危険な事態と、今我々にできること
私の祖父は戦時中、素粒子物理学のパイオニア的存在である仁科博士の元で、加速器を用いた素粒子研究を行っていました。
その祖父からことあるごとに
「当時は素粒子研究において日本は最先端を行っていた。しかし終戦後アメリカのGHQが真っ先に仁科先生の加速器を壊しにきて、それが東京湾に捨てられる様子を、先生はただただ茫然と眺めていた」
と聞かされ、それほどまでに互いに恐れあっていた加速器に関わる技術と、また当時の生々しい状況を、子供ながらに想像しつつ受け止めていました。
そしてまさに今、その終戦からわずか7年後に欧州スイスで建設された"CERN"という世界最大の加速器(LHC)を有する施設において、ビッグバンの再現やブラックホールの生成を目した、数兆電子ボルトという超高圧状態下における陽子高速衝突実験をはじめ、あまりに危険極まりない試行の数々がそこで繰りひろげられています(LHC本格再稼働後の2015年5月21日には過去最高の13兆電子ボルトに到達したとの報告有り)
それも、各国からの大型助成金付きのプロジェクトという名目で、公然と行われています。
当然のことながら、これに対しホーキング博士を初めとした世界各国の科学者達が警鐘を鳴らし続けています(近年多発している地震の引き金となっているという指摘すら出ています)
※参照:ヒッグス粒子研究が地球の時空をゆがめ破壊する:ホーキング博士
http://ada323newage.blog.so-net.ne.jp/2014-10-08-2
では、これらの破滅的な危険性を冒してまでも、彼らが追い求めているものとは一体なんなのでしょうか。
私が考えるには、彼らの狙いとは「破壊と再創造」、加えてその先で「支配」を目論んでのことだと思います。
つまり、まるで聖書の中のノアの洪水のごとき世界の一新を人間の手で作り出す、言い換えれば「神への挑戦」にほかならないと思います。
ある日本人ノーベル賞受賞学者は、こういわれました。
「自然は常に人間の先を行っている」
この方が自然界をとことん研究する中で解明が進み、この発見でほぼ全容が見えた、と思っても、きまって、常にその先に説明のつかない膨大な要素が広がっていく、というご自身の体験からのお言葉のようです。
ここで皆さんに一つ、お伝えしたいことがあります。
「神は常に人間のはるか先を行っている」
ということです。
私はこれまで、生きる中でぶつかる問題の大小にかかわらず、切実な祈りとともに聖書に立ち返ることで思いもよらぬ答えを得る、ということを何度も体験してきました。
それはこの本稿執筆中にも、体験しています。CERNにおける諸実験の先にある彼らの狙いなど、私の理解を超えている不可解な点について天を仰いでいると、ふと聖書の創世記 で、神の法則から外れた人間をエデンの園から追い出された際に、あるものを立ててその間の道を守らせた、と書かれてある以下の箇所について思い起こすよう にさせられました。
『創世記3章24節
神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、
回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。 』
ここで前者の「ケルビム」(語源はアッカド語で「人間の祈りを神に取り次ぐ仲介者」)とは文字通りそうした役割を果たす「天使」を指す、という認識までは以前からあったものの、
後者の「回る炎のつるぎ」については、正直よくわかっておりませんでした。
そして今もなお、はっきりわかったわけでもありませんが、ただ少なくともこの「回る炎のつるぎ」が、CERNのLHCを初めとする加速器が持つ要素を物の見事に包括した表現ともとれることに気づくに至りました。
つまり、陽子が高速に「回る」ことで、「炎」のような光を放つ高速ビームとなり、最後は「つるぎ」のように刺し通す中で陽子の衝突と崩壊を引き起こしている訳ですので、
ましてや3,500年前ともそれ以前とも言われる、この創世記という書物が書かれた時代にあって、これ以上的確な表現の方法が他にあったでしょうか。
また彼らは知ってか知らでか、エデン(現在のチグリス・ユーフラテス川周辺地域)の東側ならぬ「西側」で、ケルビムならぬ「踊りと破壊の神」ともいわれるシヴァ神の像をシンボルのようにして建物前に飾りながら、加速器という、人の手による「回る炎のつるぎ」を用いて、明らかにこの世の調和を根底から崩すような行為を繰り返 しています。
私は確信します。
神は、はるか昔から、人間が神の法則に対しこのような形と仕組みの物体を作りあげ挑んでくることなど、よくよくご存じでした。
更には、法則から外れ、ことごとく神と合わない方法で、神の領域とも言い換えられるエデンの園の中央へと続く道を越す試みをしてくることも、当然のごとくご存知でした。
その上で、一句として無駄な言葉のない聖書という書物において、もしもこれほどまでに明確な形でCERNやそれを取り巻く者たちに対する直接的な警告ともいえるような表現が残されているとすれば、我々はより一層、緊張した心持で今の時を過ごすべきではないでしょうか。
では、今や地球規模まで達したともいえる危機的な状況の中、我々にとって今できることはなんでしょうか?
私としては少なくとも2つのことができるのではないかと思います。
1つ目は、まずありのままの我々自身の心のうちを見つめ直し、彼らが魅了され虜となっている要素とわずかでも通じ合っているような要素がないか、今一度点検を行うことです。
そして、もし改めたいと感じる要素があれば即刻改めていくことです。
例えば、かつて私自身がそうでしたが、科学に対する過剰な誇り、あるいは過剰な期待を寄せてはいませんか?
また例えば、先ほどの「神は常に人間のはるか先を行っている」という言葉は、あなたの心にどんな感覚を与えますか?
喜びや希望ですか?それとも不安、不快感あるいは不信感でしょうか?
今の段階でどうでなくてはいけない、ということはありません。
まずはありのままの自分の心の動きを見つめ、またこの先はどういう生き方を心底望むのか、などの点検から始めてみるのはいかがでしょうか。
2つ目は、祈ることです。
もし上記で自ら改めたいことや願うことが見つかったのであればなおさらのこと、是非、切なる祈りを神と取り次ぐケルビムが神まで確実に届けられるよう、あらゆる妨害をする存在に打ち勝った唯一の存在である、イエスキリストの名前でお祈りをしてみてください。
そしてできることなら彼らのためにも、まるで自分自身のことであるかのごとく、心から祈ってみてください。
そして祈った結果、何がどのような形でなされるのかについては、
天に委ねましょう。
ただ私は1つのことを知っています。
これもまた聖書の創世記において、まさに今でいう所のCERNのように、当時の英知を結集したレンガやアスファルトの技術を駆使し、塔を高く建て連ねその頂きを天にまで届かせようと試みた人々の様子が描かれています。
いわゆる、バベルの塔です。
その時神は彼らの言葉を乱し、その結果、彼らはお互いの言葉も心も通じなくなり、塔の建設は頓挫しました。
祈りましょう。結果は文字通り、「天のみぞ知る」です。